吉野家さんやUNIQLOさんの低価格戦略への舵切りに「デフレ脱却への赤信号」などというところもありますが、結局、値段を下げなければ「売れなかった」ということでしょう。そうしたことが、たぶんファストフード店やロードサイドレストランの「調理ロボット」化、「冷食」化にますます拍車がかかっていくのでしょう。もう王将さんも餃子の「店舗ごとに手包み」を諦めたらしいですしね。そして、最後は無人化。それで、びっくりするようなチャーハンなりが(庶民にとっては)リーズナブルな値段で出てくるようになるんだと思います。
その頃になると、オヤジさん自らが鍋をふるってつくってくれるチャーハンはもう「手でつくってくれる」というだけで高級化してしまって、現状の通過価値に準えれば「チャーハン並盛り」=1800円な感じの値段になっていたりするんでしょう。
現在でもコンビニのハウスブランドなパンはロボットとコンピュータが焼いてるようなもんですし、冷食のチャーハンはロボットが鍋を振ってつくったものです。現状でもそうです。こういうことがもっと汎用され、世の中の当たり前になっていく…
まるで、チャップリンが「モダン・タイムス」で描いていたとおりです。
ただ、世の中全部が「モダン・タイムス」な感じ一色に染め上げられるんじゃなく、ハイテクなガン・シップを持つ一方で中世さながらの暮らしをする「風の谷」のように、意識して不便を残し、その状況を楽しむ少数の人々の存在が鮮明になってくるだろうということはチャップリンの想定にはなかったことでしょう。
ただ、この「意識して不便を残し」の生活、かなり実力がないと維持できないでしょう。それぞれが自律的な生活力を持っていないと不便を残しながらは生活できないですからね。
(それくらい、たいていの僕らは与えられた「便利」に支えられて生きています)
ある種「憧れ」は集めても、実践者は小数に留まるだろうと思う所以です。