近隣のイメージ

すでに、そこにあった「ご近所」に「入れてもらう」というイメージではなく「親しい友だちと歩いて行ける範囲に集まって暮らす」というのが、うちのひいばあちゃんの手法でした。

大都会では人の出入りも激しく、伝統や歴史的な慣習に裏打ちされた、誰のものでもない「公」としてのコミュニティはありません。かつての東京や大阪の下町にはそういうものがありましたが、それは江戸幕府が政策的につくったもので、明治以降、特に戦後は、全くメンテナンスされてもきていないので、圧倒的な流入民を前に今は消え入るようです。

さて

つまり現在の大都会に「コミュニティ」なる「公」はないも同然で、あるのは何らかの顔役が仕切る「組」。この「組」が群雄割拠している状態と、それに行政サービスとコンビニの間を往復する孤立的な人々。新しい住民ほど、後者の「無党派」な感じでしょう。
正規にしろ不正規にしろ、一応は収入が確保できれば、あとは「口をきかなくても」生きていける状況が大都市にはあります。その「口をきかなくても」をネット環境が後押しします。

でも、自らの老い、両親の老い、子育てなどは、孤立的に自分だけで解決できる限度を超えている問題です。そして、お役所があてにならないのは明々白々。解決されるうちに自分も両親も亡くなり、子どもたちは思春期に差し掛かっているでしょう。

だから「ともだち」どうしでなんとかしていく。だから近所に暮らす。うちのひいばあちゃんの近隣のイメージは「参加する」ではなくて「自らメイキングしていく」です。

あの人は太閤秀吉ばりの人たらしだったと思いますが、それも女手一つ、全くのデラシネで大都会を生きていく方便だったのでしょう。
ひいばあちゃんには「行政サービスとコンビニの間を往復する」で生きていけるほどの整った社会はありませんでした。国民皆年金・皆保険の時代でもなく、差別も女性ならでは危険性もありました。彼女は米兵がウヨウヨいるヨコハマのあの時代を「自営」で生きてきたのです。残業という概念すらなく、もちろん有給もない中を生きて来た経験…

でも「これから」は、またひいばあちゃんの経験が生きる時代になります。
ひいばあちゃん自身は、彼女の経験が、また「生きる」時代になったことを喜んではいないかもしれませんが、あの人がそうだったように、このピンチを醍醐味に変えていく、そういう気概で知恵を絞っていきたいと思っています。

漕ぎ出す海は荒れていた方が面白い、裁判の傍聴とプロレス観戦が趣味だったうちのひいばあちゃんの基本コンセプトです。

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