近 隣

被災地には熱心にボランティアに通うが、今、自分の住んでいる「地域の出来事」には何らコミットしていないし、何が起こっているのか、どんな人たちが、そこに暮らしているのか ということに関しては全く関心がない…

これって、ホントは、そうとう歪なことなんだと思いますが、こういうことについて それを変だとか、おかしいと思う人は、たぶん、ほとんどいないんでしょう。

「近隣」は病んでいます。特に大都市の近隣関係はそうです。

僕のオフクロには「店番」がありましたから、僕はオフクロの妹であるところの叔母や近隣のおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられました。そういう経験からも「核家族」での子育てはかなりの困難を伴うと思うのですが、近隣の紐帯は切れっぱなしで、核家族は大都市を彷徨う漂流船のようです。たぶん、高齢者の介護にも同じような状況があるのでしょう。

つまり、近隣の関係だけでなく「家族」という「つながり」も溶けて無くなりはじめている。

「ひとりぽっち」で老いていく人。ひとりで子育てを強いられている人。高齢者の介護に大半の生活時間を当てなければならない人…人々が難破船のように大都会を漂流している現状は「原発事故や廃炉作業」と同じくらい、人の生き死に関わる問題だと思っています。

でも、振り向かれもせず、問題は半ば放置されている。

お役所は動かないし、たぶん、近隣関係が豊かだった時代を知らない人がマジョリティになってしまい、近隣で子育てをし、近隣で高齢者を介護するスタイルがイメージできないのでしょう。
あの時代を体験したことがある人間がモデルケースをつくっていくしかないのだと思います。1961年生まれの僕と同世代でさえ、たぶん豊かな近隣関係を大都市で経験している人は、ごくごく少数。いたずらな正義感でも、使命感でもなく、僕は僕と奥さんのためにも「これからの時代に成立可能な紐帯のあり方」を具体化していく必要があるのだと思っています。

単純に復刻するというより「新たに創造する」に近いものになるでしょう。
ただ、SNSがある時代でも、真の構造は、ひいばあちゃんの時代と変わらぬものになるような気がしています。

AI(人工知能)と異なり、人間は短期間でそんなに大きく変化するものではありません。まずは出会いの創造からです。

(たぶん「出会い」の後の「つながり」の育み方。そういうことは今も昔もそう大きくは変わらないでしょう)

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