ともだち

江戸幕府は、技能種別ごとに兜町、箪笥町など都市には職縁コミュニティをつくり、そこに風通しが必要になれば、「民」との協働で、寄席、床屋、風呂屋、居酒屋などに「出入り自由」な場所をつくり、連歌会など旦那衆(企業家、資本家)のサロンもつくりました。

ところが、明治維新以降は都市に疎い人々が為政者になって、都市にまで「農村」のような管理体制が敷かれるようになりました。しかし、居住者の出入りも激しく、一日のうちでも昼夜でガラリと様相を変えるような都市らしい日常には、そうした管理体制は不向きです。でも、為政者たちが都市を知らない…そして、都市らしい特徴は無視されてきて今日があります。
今も、お役人、政策の専門家などに、農村と都市とのコミュニティ施策の違いを説明できる人はほとんどいないでしょう。そして江戸の遺産を食い潰して、現況の日本の都市は機能不全に陥りつつあります。

でも、こうしたことへの解決策を政府や自治体に求めても難しいでしょう。
まだ、彼らは、まだ自分たちの常識への疑いの眼を持っているわけではありませんし、江戸時代の方が明治以降の時代より優れた社会政策を行っていたといったら腹を抱えて笑い出します。

しつこいようですが、ここは自らの「私立の公共政策」に委ねるしかないでしょう。

「私立」とはいっても革命家のように現体制を打倒するのではなく、ただただ自分にオリジナルな「助け合い」のネットワークをメイキングしくという小さな話しです。でも、このことが沈みゆくタイタニック号の乗客として用意しておくべき救命ボートになると、僕はそう思っています。

まず、ひとりの生活者として自立し、そして助け合う。既存のものに参加するのではなく、自らメイキングしていく…実は激動のヨコハマを女ひとりでサバイバルしてきた「うちのひいばちゃん」のノウハウの踏襲でもあります。

ともだち

幼馴染でもなく、同級生でも、ましてや親類縁者でもないから「ともだち」としかいいようがなかったんでしょうね。ひいばあちゃんは、彼女の人生を協働してきた仲間たちを「ともだち」と表現していました。
1980年代末のバブルの頃、ちょっとした立食パーティで、ちょっと名刺交換したことがある程度で、みな「ともだち」になったり、さられたりしたことがありましたが、ああしたいい加減な「ともだち」関係ではなく、小さくとも運命共同体ともいえる紐帯でした。

特に人と人の関係が希薄な大都市に暮らす人々こそ、周到な準備が必要です。

まず、自分の生活をもう一度省みて、行政や会社に頼っている部分を洗い出し、行政や会社が機能を停止した状態で何が不足するのかを想像して見ましょう。

そこから真剣な準備が始まるはずです。

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