引用

東京を生きる

オヤジの方は関西から江戸に出てくてきて400年の家の分家の一つで、分家したのも「暴れん坊将軍」が現役だった頃です。オフクロの家もヨコハマでは長い方で、ひいばちゃんが秩父からヨコハマに出てきたのは明治の後半で、つまり130年以上、ばあちゃんが元町小学校ですから、ずっと港近辺にいるわけです。
そうすると、僕には「上京者」という感覚もなければ「両親が(東京に)出てくる」ということもない。でも、現在は、そういう「感覚がない方」がマイノリティであって、確かに小学校でも「夏休みや正月には田舎へ」という同級生の方が圧倒的に多かったという記憶があります。

最近も、ツイートで「菊川橋」の話題をあげ、僕は「墨田の橋」として紹介したんですが、ある方があれは「地元では江東区の橋という感覚がある」と述べられていた…。わが家では、菊川橋がかかる竪川は墨田区だろうという認識があり、それより何より江東区という認識がなく、江東区のあたりは「深川」。地場に旧いお年寄りには「菊川」についても、墨田というより、僕は「本所」と言い換えて説明すると思います。つまり、「地元では江東区の橋という感覚がある」に違和感があったわけです。でも、その方は「地元では」とされている…。で、その方のツイート・ラインを覗いてみると、別のツイートに「自分は道産子」とあります。つまり、彼がおっしゃる「地元」は「今、そこに住んでいる」ほどの意味。僕の思う「地元」という意味は変質していたのです。

たぶん、東京やヨコハマに旧い家の方がマイノリティでしょう。関東大震災、度重なる空襲などで、その都度、一家は四散し、また多くの労働者が流入してくる大都市ですから東京には「上京者」だらけで当然なわけです。

mami-amamiya雨宮まみさんの「東京を生きる」は、その上京者の「心」を活写した作品です。帯には「九州で過ごした年月を、東京で過ごした年月が越えていくー 地方出身者すべての胸を打つ。著者初の私小説エッセイ!」とあります。

そして、この著作には、この国の社会(あるいは世間)で、独身の女性として生きていること…その心情も「娘から両親への感情」も描かれています。サイド・ストーリーというより、こちらもテーマです。
たぶん、人は東京という空間や場所に生きているだけでなく、自分の感情と(それを持て余し気味に)生きています。そのことについても気負いもなく、とても生成りに描かれている…そのことがまた、ひとりの女性の「東京を生きる」を、そよ一層鮮明にしています。

かのピート・ハミル氏の傑作に「ニューヨーク・スケッチブック」がありますが、この「東京を生きる」も、ある上京者の「東京スケッチ」の傑作なのでしょう。すでにマジョリティになっているはずの上京者や上京者の視点について、その「上京者」の視点から東京を語る著作(特に近年のものは)は案外貴重です。ご一読をお勧めします。

雨宮まみ 著 「東京を生きる」 大和書房 刊

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