「街」の声を

僕は、ここに地形がないなとよく思った。地図を見ると確かに蕨市という形はある。でも三〇分も歩き続けると、簡単に隣りの川口市や戸田市を歩いていたりする。町と町の境界線がはっきりしない。延々と似たような住宅が続き、思い出したようにコンビニが存在して、電柱と電線と信号機が、エンドレスにどこまでも続く。
町に中心というものがない。多くの地方都市がそうであるように、僕が生まれ育ったところも駅を中心に町があった。駅前にはそれほど賑やかとはいえないが個人営業の店が連なる商店街があり、それを過ぎると住宅街になり、さらに歩くと住宅地になり、さらに歩くと、すでに田んぼがあちこちに現れ始め、家々が占める広さと田んぼの広さが逆転する。そして、ひとつの地区と地区の間は田んぼや、川や林で境目ができている。

これは写真もなさる小林紀晴さんの「東京装置」(幻冬舎文庫 現在廃刊)という著作にある一節です。

僕は、小林さんが感じておられるだろう「境界がない」という違和感を感じることができません。確かに「延々と似たような住宅が続き」には僕も違和感を感じなくはありませんが、散歩の途中で知らないうちに区境や市境を越えていてもなんとも思いません。むしろ「中心」というものがはっきりと感じられる街があったら、そのことに違和感や珍しさを感じるでしょう。

ただ、都市ばかりを訪れているせいか、地方へ行っても「中心」や「エッジ」を意識したことがありません。なんの確認をしたわけでもないのに「どこだってグラデーションだろう」と思っています。僕は、それだけよくも悪くも都市人なんでしょう。

こうしたことから、今の僕は街づくりを仕事にしていますが、「田」と「丁」とによる「町」と、建物と通りを意匠化した「街」とは、きちんと分けて考えるべきだと思うようになっています。そして「まちづくり」と、両者の特徴をボウズにしてしまって十把一絡げに考えるのは以ての外。逆に同じ都市でも東京には東京の、大阪には大阪の特徴があって、その違いを中止しなければ、その都市の暮らし心地は確保できないと思っています。

都市こそ、現在を生きる人々が歴史を無視して勝手に造り替えてしまっても問題がないように思われていますが、やはり竹に木は接げないもの、その場所が持つ歴史に沿わない再開発は短命に終わります。あれだけつ造り替えられ、しかも関東大震災や度重なる空襲があったにも関わらず、現在の東京に今も徳川初期の街づくりの残像が色濃く残る所以です。

僕らは傲慢なのだと思います。

僕らは地球の一部であり、歴史の一部です。その傘の下の「当代の人間の意思」です。僕は現在の「世間の常識」に無下にした会う必要はないと思っていますが、地球の意思や歴史の声には真摯に耳を傾けるべきだと思います。
人間だって無理強いされることは嫌ですが「街」だって同じはずです。「街」の声を聞きましょう。

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