音だま/芸は身を助ける

世間で汎用されている「音霊」って、亡くなった水木しげるさんの漫画からじゃないかっていわれているらしいですが、いわゆる「霊」みたいなものではなくても、言葉としては意味をなさない「音」でも、何かが伝わるから「ぶらぶら」みたいなオノマトペが成立するんだと思います。

北島三郎さん歌唱の楽曲「兄弟兄弟仁義」の冒頭の歌詞「親の血をひく」を北島さんが「親の血ぃぉをひぃくう」とお歌いになると、こうして平板にビジブルな文字で「親の血をひく」と記した以上の意味が付加されているように思います。それも多重でポリフォニック。たったの「親の血をひく」というフレーズひとつが重厚なドラマに演出されていくようです。
同じく北島さん歌唱の「函館の女」の冒頭「はるばるきたぜ 函館へ」の部分もそうです。この1フレーズだけに、この歌に歌われている主人公が函館に来るに至った長いドラマが描かれているようです。

AI(人口知能)は言語的なデータや数値などには最強ですが、彼にインプットを行う人間が言語や数値に置き換えられない分野、つまり北島さんの歌唱力みたいな分野への進出は当分不可能です。

手業(てわざ)の分野にも同じようなことがいえます。

例えば、真球といわれる、全く歪みのない金属球は今のところ人間の手によってしかつくれず、また、その職人さんでさえ、そのつくり方を言語化することができないでいるものです。一流の板前さんの多くが、長島監督の「こう、ぐぐっと来てぐっと溜めて、スパーンと打て」みたいに弟子を教えますが、それも言語化できない領域で仕事をしているからなんでしょう。

いずれにせよ、ある領域に達した「技」や「芸」はノウハウ化も、数値化も許さず、当分、AI(人口知能)の追髄は許さんだろうということです。

まさに「芸は身を助ける」です。

多くの職人さんたちがノウハウ化が難しい高度な技能ほど「長い間、我慢していると、ある日、突然できるようになるもんなんだ」とおっしゃっています。僕も右麻痺になって左手で箸を使う練習をしていたときに、やはり同じような経験をしました。ある日、昨日のレベルとは別次元のパフォーマンスができるようになり、今では左で箸を使った方が細かいことができます。でも、そのプロセスを僕も説明できません。

きっと「手業」とはそういうものなのでしょう。

こういう時代になったら、その「長い間、我慢していると」にチャレンジしてみるべきなのでしょう。

「芸は身を助ける」になるはずです。

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