構築できないことを知る

1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)のたったの3年間に806万人も出生した。これが日本のベビー・ブーマー=団塊の世代です。
戦争が終わって、世は工業生産時代。工場で働く人も消費者も多い方がいい…戦争中さながらの「産めよ増やせよ」で、画一的な工員であり消費者を国家的に仕立てていった…そういう時代でした。中にはタモリさんみたいな方もいらっしゃいますが、タモリさんの生家はタモリさんを「公に預けて部品にされる」のを阻止できるくらいの資産力がありました。タモリさんは非常にレアなケースです。

たいていは大量生産・大量消費の申し子です。彼ら自身、その運命に抵抗しようとしてみましたが、部品として育てられた彼らにはアジテーターは現れてもマネージャーは現れず、結局は大量生産・大量消費の申し子のまま、今度の東京オリンピックが終わる頃には後期高齢者です。

高齢者ケアは実はコラボレーションです。世話される人と世話する人が、ともにいたわりあいながら過ごしていかないとすぐにギクシャクしてしまう現場です。世話する人への注文は多いのに、世話される人はやりたい放題では介護の現場は殺伐とするだけでしょう。

タモリさんのような例を除いて、たいていの彼らは要求を出す部品です。
そして、部品ですから思いやりにかける…人柄によって「人にケア」してもらえるのか、「ロボットにケア」されるのかは大きな差となって現れそうです。そして「人にケアしてもらえる」はやはり贅沢になるのでしょう。

ただ、この贅沢はお金を積んで買えるものではありません。あくまでも「お人柄」に拠るものといえます。
でも、その「お人柄」は、天性というより学校教育以外の様々な教養と経験に裏打ちされたものである場合が多く、生家の資金力に拠る部分もあります。むしろ「お人柄」をメイキングするほどの資金力があったということは桁違いだったということもできるでしょう。

いずれにせよ、ここでも、激しい二極化の状況が現実になっていくのだと思います。

団塊の世代が後期高齢者になっていくのが2025年前後、あと10年もない中で状況を好転させるのはまず不可能だと思います。課題は「量的」なものではなく「質的」な問題ですからね。

彼らも、できることといえば、自分で自分の人柄にアプローチしていくことでしょう。学校教育では不十分だったということ、「命令を出す/出される」「買ってやる人/買っていただく人」では人間関係は構築できないことを知ること。もし多くの人が、このアプローチを行くようなら状況を変えられるかもしれません。

「要望を出し、実現されなければ怒る」の図式では何も解決しないことを知る人が多くなれば… でも、難しいか。

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