売っていないもの

今もって、僕に、僕が努力家である自覚はありません。オヤジの家系にしろ、オフクロの家系にしろ、さらに強者がいましたし、学校の成績で妹に買った試しはありませんし、ピアノにしても従姉妹の腕前と月とスッポンです。
中学生・高校生の頃の友人たちもみな強者で、たいていが、その道でプロフェッショナルとして生計を立てています。

でも、50代も半ばまで年齢を重ねてくると、僕の記憶する「周囲の状況」の方がレアなのだといわざるを得ないシチュエーションにたくさんぶち当たってきました。
どうやら、僕が経験してきたことが世の「フツウ」であると考えるのは間違いなようです。
技芸の習得はスポーツに限らずとも、ある意味「星飛雄馬」的であるわけです。学校の勉強もそうです。「自分の楽しみ」「気持ち良さ」では続けられませんし、続けられて、ようやく「楽しみ」「気持ち良さ」のなんたるかがわかるものです。

でも、試験前の「一夜漬け」的と「三日坊主」の方が世間ではスタンダードなようです。

マニュアル・レーバーが買い叩かれ、AIが発達し、労働市場が国際化すれば、資本家の家に生まれない限り「芸は身を助ける」です。ある意味、唯一の希望でもあります。

でも、これで食っていくには「努力」が必要です。そして、この「努力」。どこにも売っていないものです。
努力なんかしなくても「生きていける」。そういう意味で「のびのび」「ノー・ストレス」な「おいしい生活」は明らかに幻想でしたが、あのバブルを経験していない若い世代でも「お気楽」な感じは今に受け継がれてしまっています。

たぶん「努力している人」を見たことがないという人が大半なのでしょう。

ただ、そうでない少数派は、20年くらいの人生キャリアしかなくとも、今、50代の僕らより、よほどしっかりした判断力を持っています。

政府施策云々ではなく、二極化は露わに顕著になっていくと思います。彼らのせいとばかりはいえなんですが、現実は彼らに襲いかかります。

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