裸からやり直したことがある

7世紀の建立とされる法隆寺、薬師寺の東塔、唐招提寺など、天平や白鳳期の建築物のクオリティを目の前にすると、姫路城でさえ、その技術を順当に継承発展させられはしなかったのではないかと考えてしまいます。実際、後の戦乱の時代に天平や白鳳期に活躍した大工の系譜は切れてしまって、野大工(素人の見よう見まね)の系譜から今日があるという学説もあるようです。

僕は新薬師寺の十二神将像が好きだけれど、天平や白鳳期の様々な仏教彫刻のクオリティと江戸初期の仏教彫刻のクオリティを比較してもそうです。明らかに劣っているのは「後世」の方です。ここでも一度、系譜が切れてしまっているのでしょう。

原因は戦乱です。

命からがら逃げ回っていれば仏像彫刻でもないだろうし、鉄砲にニーズが集中し、仏像にニーズがなければ人材が流れないということもあったでしょう。そして、簡単に技能は消えてゆく…なにしろ繊細な技能こそ「できる人」からの口伝が頼り。できがったものを観察しても、つくり方を推測できるのは部分的な範囲に止まります。
ベトナムでも戦争で失われた技能がたくさんあると聞きます。一生懸命、復元を試みられているようですが、すでに「どうやったんだかわからないこと」も多く、近代的な楽譜があるわけではない古典的な宮廷音楽には、限られた場で演奏されていたものだけに聞いたことがある人さえ限られていて、楽器の弾き方も不明ということもあるようです。

エジプト彫刻の素晴らしさ、アンティキティラ島の機械の精密さから考えても、日本だけではなく、人類は何度か裸からやり直したことがあるのではないでしょうか。

(正史に記録されていないだけで)

少なくとも、僕らが現認している、この文明が不滅なものだと思わないことだと思います。

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