「集まる」「叫ぶ」の力強さに比較して、僕らの「述べる」とか「語る」はまだひ弱かな。僕らはまだ「群衆」を卒業できてはいないようです。「穏やか」は「ぬるい」と揶揄される。おっしゃる通りでもあります。相手は馬耳東風…「声なき声」なんて嘘ぶいいていた人たちの系譜ですしね。
でもね。
「叫ぶ」はいつしか冷静さを失うものでもあります。それに、もし「叫び」が功を奏したとしても、叫ばなければ動かなかった政府の体質を温存することにはなってしまう…
もうしばらく時間がかかりそうですが、いつかは「語る大衆」が政府を動かせるようになるといいですね。