努力できることこそが天恵の才

AI(人工知能)の進化はもうとめられないでしょう。会社にはデータを比較して判断する仕事しか残っておらず、マニュアル・レーバーは買い叩かれます。
市場原理としてひどく合法的に起こることなので「行政」はいつにも増して及び腰でしょう。半ば確信犯的に後手に回ります。

大半の人々はマニュアル・レーバーに働き、その所得が減っていくということは、あらゆるサービスの無人化を促していくことにもなります。

まだ「ラジオの組み立て」などという仕事が工場にあった頃の話しですが、工員さんは、その仕事を「自分の仕事をなくすために働いていた」というパラドクスがあります。これは、工員さんが一生懸命働いて工場に利益をもたらすと、経営者は、その利益を「省力化」のために再投資し、人件費を節約する…故に「自分の仕事をなくすために働いていた」というわけです。
1980年代には、アメリカからインドにコンピュータ操作の教習に行った人が、その業務を終えた途端にクビになったという話しもあります。コンピュータ操作などの実務がより人件費が安いインドにシストすたからです。

所得はそれを許さなくなっていても、毎日、cafeで珈琲が飲みたい。そう思う人の心に「無人化」は入り込んできます。そして、その「無人化」が汎用されれば、スタバやドトールのカウンターには人がいなくなり、その仕事はなくなる…閉店する店舗が出てくるのではなく、職種ごとなくなるのです。

経営者ではなくとも、それに近い判断ができる人。AI(人工知能)の追従を許さない技能、衆人の支持を集めるアートな才能、スポーツなどでの能力を持つ人などと、膨大な資産を持つ1%の資産家などだけが安泰で、あとは底辺に追いやられる…

この歳になって思うと「努力すればなんとかなる」ではなくて「努力できることこそが天恵の才」。いいわるいではなく「三日坊主」がレギュラーなのです。学歴や経験を積むには親の経済力という「運」も必要です。

できることは、この状況をどうやって楽しむか、楽しんでしまうかでしょう。もちろん「努力できる人」は、それを続けるべきですが、僕には「努力」が万人向けの処方箋には思えません。世の中が荒れるのも必須です。なにしろ、少なくとも、この国の50年以上はぬるま湯でしたからね。

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