一変

工業生産時代が終われば「大衆」の時代も終わる…
金融工学、高度な工業技術から工芸品などに至るまで、個人が個人として(あるいは少人数で)創り出す知価が、この国の経済を支えるようになるのなら、この国の為政者は無理して「大衆」に福祉を提供する必要もなくなるのでしょう。

抵抗勢力であるはずの労働組合だって「大衆」を念頭に設計された組織ですから、その力を失う…

時代は、情け容赦なく「大衆」を飲み込んでいくように思います。
もちろん、そんなことは不正義ですが、地球は僕らの都合など関係なしに非情に回転していきます。

TVに映し出された「あの日の映像」を観ながら、また別種の恐怖を思っています。
僕らを襲うのは自然だけではありません。人間が創造したはずの人間社会でさえ、僕らの人生に襲い掛かることがあります。

前の大戦で戦場に倒れた方、空襲で亡くなった方、生涯癒えることのなかった傷を負われた方、戦災孤児となられて苦労を重ねられた方…
僕らの社会が、僕らに襲いかかって命まで奪っていき、生き残った人々にも心に癒えぬ傷を残した…そういう歴史の記憶です。

時代の進展は格段にスピードを上げています。あの頃の10年が1年でという可能性があります。

スピードが速いのですから、変化は「ある日」「一変」したように訪れるのでしょう。
でも、後から振り返れば、必ず「これが予兆だったんだな」ということはあるものです。

もう、いくつかの予兆はあったはずです。あとは、どのように「一変」をイメージし、どういう準備を整えておくかです。

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