友だちの友だち

「新開地(新たに開けた市街地)」ができると、都会キャリアの浅い人々が集まってきます。そして「村」に愛着を持っている彼らは、間もなくコミュニティ・メイキングに勤しむようになります。
でも、ここは都会ですから、出身地も職業もバラバラ、考え方も「それぞれ」な人々がモザク状に暮らしています。それ故、コミュニティ・メイキングな活動が隆盛になればなるほど、返ってパーティごとの対立軸は鮮明になります。明確な啀み合いにはならずとも、知らず識らずのうちにコミュニティの壁は高くなり、外からは入りにくいので新陳代謝は進まず、コミュニティ・メイキングを目指したパーティは数年で消え入るようになくなっていきます。

「新しい顔」を所在無げにしてしまうような「集い」は、もうコミュニティの始まりでしょう。ひとつの村が共同で農作業やそれに関わる土木工事などを行うとか、城壁の中にいて、共同して外敵からみなの暮らしを守ろうというのなら、コミュニティ・メイキングも有効な手段ですが、その場所に暮らす人の出入りが激しく、職縁や同郷人であることなど「話のきっかけになること」が乏しく、逆に異業種、異郷だからこその無理解が進む可能性が高くあるとすれば、コミュニティ・メイキングの難点ばかりが目立つようになります。

都会に残された紐帯(社会の構成員を結びつけるもの)は文化や趣味、嗜好など。そこでの出会いを「気の合う友だちどおしのネットワーク」に広げていく努力をするべきでしょう。

18世紀のパリで盛んになった「サロン」。ロンドンの「コーヒーハウス(喫茶店みたいなもの)」、アメリカの各都市にある「ブッククラブ(読書会)」。いずれも、すでに欧米各都市に一般的になっていた商工業者の職業別組合というコミュニティの「新陳代謝の不活性」から育まれたものでもあり、故に身分や職種は問わず、出入りは自由なものでした。
日本でも元禄期には文人(知識人)を中心に、みんなで集まって書画・骨董を鑑賞したり、狂歌や連歌の会を催したり、ということが行われていました(特に大阪で)。身分や職業を問うのは無粋とされ、みなで風雅を愛で、また風雅であることが尊敬を集める…日本の場合、邸宅の客間(=サロン)に貴族や外交官を集めたパリのサロンよりさらに風通しがよかったようです。

「友だちの友だち」「友だちの友だちの友だち」などに広がればネットワークの始まりです。逆に、ユニフォームをつくったり、エンブレムをつくったり…そうなってくるとコミュニティの始まりということになります。

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