開港以来、ヨコハマは20〜30年のスパンで主幹的な地場産業を入れ替えてきました。最初は生糸であり、超絶技巧な工芸品な街。その頃にはたくさんの技能職も集積し、古物商的な目利きも多かった。でも、この国が「新興国」としてあるステイタスを獲得する頃には京浜工業地帯の一翼を担うようになり、つまりは重工業生産と製品の積み出し港に。その頃、現在の「みなとみらい」は大きな造船所でした。しかし関東大震災に襲われて、その後は軍都になり、空襲で都心部が灰燼に帰す中、戦争に負けた後は進駐軍な街。そして、高度成長期も後半になると、東京のベッドタウンとして命脈を保ちながら、それを郊外へと広げ都心部は田中派的な土建の街です。
「20〜30年のスパンで主幹的な地場産業が入れ替わる」ということは、その都度「没落する家」があったということです。そうした状況に大災害や空襲が重なって、そもそも土着が難しい街に、降ってわいたようにまた新しい殖産興業。そして新たな「流入民」です。そういうわけですから、いつだってヨコハマは「都会キャリアの浅いよそ者」の街。
「新開地(新たに開けた市街地)ができると、都会キャリアの浅い人々が集まってきて、彼らは村に愛着を持ってコミュニティ・メイキングに勤しむ…ヨコハマはそうしたことを永遠に繰り返しているような街なのです。
もちろん「超絶技巧な工芸品」をつくる技能職さんと「田中派的な土建の街」を闊歩する人は考え方も生き方も違います。そういった人たちが折り重なるように、モザイク状に暮らしています。
ヨコハマが、街としてひとつの「像」を結ぶことはない所以です。
ヨコハマを遠くから見ている人ほど、ヨコハマには「ひとつのイメージ」が明確なのかもしれませんが、かつての「ハマトラ・ファッション」が雑誌「JJ」の仕掛けであったように、そのヨコハマ・イメージは、リアルを針小棒大に解釈した東京メディアが「作り込んだもの」(ミニマムホルダーが活躍するアニメ「ハマトラ」などもそうでしょう)。街かどのリアルを描写したものではありません。
ただ…
港がかつての勢いを失い、重厚長大産業の時代が終わり、人口集積という消費力の魅力も失せるこれからこそ、落ち着いてリアルなヨコハマをメイキングしていくチャンスなのかもしれません。
(東京から見てビジネス的な魅力がなくなってしまえば、それがチャンスの時代の始まりでしょう。ダメになるとはいっても直撃されるのは資本家や企業家、そうした人々の利権を調整して旨味を吸っていた人たちですからね)
どうせ伝統などない街です。個人が個人らしく自分の人生を表現していけばいい…
ヨコハマは「ヨコハマらしさ」と無縁の街。そんなものに縛られず、自分らしく。それが「万年新開地」ならではの魅力です。