備える必要はありますが

ヨコハマの魅力は歴史がないことです。開港150周年博覧会なんていうイベントをやっていましたが、その150年間にも主幹産業が30年スパンで目まぐるしく入れ替わるので、勃興と没落の繰り返し、主たる利益は東京の大企業に吸い上げられ、労働者の流入は続く…Yokohama-Traditionalなんて熟成される暇もなかったのです。つまり、名家も名門もなく、一時代、声が大きい人がいても彼一代でピークは過ぎていくわけですから、この街のハイカルチャーはいつまでも空席(ハイカルチャーな感じが板につくまでには最低二、三代はかかりますからね)。「封建的」にはなれない街なのです。山間の町などへ行くと、戦国時代くらいから町の秩序が変っておらず、かつての国人が商工会議所の会頭で、息子が青年会議所の理事長なんてところも少なくはありません。同じ開港地でも函館には中世以来当地に続く「家」もありますから、たぶんヨコハマはレアなケースになるでしょう。

さて

歴史のなさは、ややもすると「成り上がり」的な軽薄さに繋がってしまいます。
でも、その一方で「よそ者」「新参者」には障壁が薄い、少しは風通しがよい…ということでもあります。田舎から出てきた人が多いので「旧いヨコハマ」には顔なじみでまとまりたがるところがありますが(うちのひばあちゃんも秩父の出だったので、埼玉、群馬、栃木あたりから出てきた人に囲まれていました)、それも1980年代以降のニュータウン開発でずいぶん変わりました。旧来の都心は少子高齢化ですでに勢いを失っています。

田舎者が背伸びをして「オモチャの東京」造ってシティ・ボーイを気取っているのか。それとも「よそ者」にやさしい等身大な街をつくるのか…

ハデですから、確かに「オモチャの東京」の方が目立つし、どこもかしこもが塗り込められrていきそうな勢いにも感じられるんですが、その実、街の片隅にはね。雑草かもしれないけど、案外きれいな花が咲いててハッとすることも少なくありません。

うちのひばあちゃんは「闇市も、統制で表に出てこなかっただけで戦中からその息吹はあった」って言ってました。
東京オリンピック後あたり。大樹と「寄らば大樹の陰」な人々にはまさにカタストロフなんでしょうが、とばっちりを受けながらも、統制が解けて、闇市の方は活況を呈するのかもしれません。もう「息吹」はあります。

終わりは、何かの始まりでもあります。備える必要はありますが、絶望する必要はありません。

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