フツウだった

積極的に「なぜ?」を追い求めて勉強しようなんて人は滅多におらず、なんとか生活を維持できれば、あとは感覚的な快感を求めて生活しているというのが、戦後日本の、たいていの大人なんじゃないかと、僕はそう仮説しています。
学校の成績が良い子も、たいていは受験型の「傾向と対策」な情報の詰め込みでしたから、目的は大学入学。研究目的があるから大学に入ったわけではありません。
就職で会社を選択するのも、できるだけ負担が軽く、給料と休みが多いところを、と就活しているわけで、ここでも「傾向と対策」。専門性を活かして就職なんてことは滅多になく、たいていはニュートラルな給与所得者になっていきます。

つまり、強く勉めるほどには勉強したこともなく、また、それでも生きてこれる世の中だった…今にして思えば、高度成長期という「50年以上も続いたバブル経済期」が、この国全体を「ぬるま湯」につけ、その中で世代交代も行われるわけですから「ぬるま湯」が常態化し、その世の中で「世間の常識」が形成されていく…

1961年生まれの僕も、たぶん「甘い」のです。

工業生産時代は分担だけをこなしていれば生きていけるという錯覚も植えつけました。
ホントウの自立は、なんらかの専門技能を持つだけででなく、仕事をとってくる実力とともに、資金繰りになんらかの技を持つことからなんですが、会社が支持する分担をこなしていれば生きていけるような錯覚にとらわれてしまうような時代でもありました。
これからは、雇用が増えても「非正規雇用」で就業の場が増えていくだけ。市井の労働者の大半がフリーランスの職方や小商いな商人だった戦前と同じような状況になるのでしょう。逆に言えば終身雇用制など、よっぽどアブク銭があふれていない限り「無理」だったのだと思います。

面倒だから勉強はしない。それでも通用してしまう。この国の基盤がしかりとしているから、勉強しない自分の主観的な思い込みを信じて行動に出ても、そうそう大きな失敗にはつながらない。なんとなく周囲を見回して「みんな」の行動についていけば、大きな間違いはない…

そうしたことが、この国のフツウだったのです。

フツウだったんだから、多くの人々が、この「間違ったライフデザイン」を成功体験として誤認します。その人が人の親になり、学校の教師になっていきます。

たぶん、安倍さんを強く支持している人はマイノリティでしょう。なんとなく「多くの人が支持しそうだから」なんだと思います。「強く支持する」を判断するだけの材料も能力もないはずなのです。
だからこそ「大船(おおぶね)」に乗ったつもりが「泥舟」に、ということになるのでしょう。
でも、大きな「泥舟」です。渋ずとき「周囲」を巻き込みながら、ということになります。

この数年で起業した若いcafeや古書店などのみなさんは素敵な商いをされていると思いますが、それでもインフレの弊害は免れず、厳しい風が吹くでしょう。

若い世代のみなさんには、まさに「とばっちり」ですが、悲しいかな、これからがたいへんだと思います。

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