未来の常識

田中角栄氏による著作「日本列島改造論」が出版されたのは1972(昭和47)年のことでした。土建から再開発へと「構造物」至上主義に走っていく、その後の我が国の理論的な指導書になったような本です。

その2年前、あの大阪万国博覧会=EXPO’70が開催された年には、富士ゼロックスによって広告キャンペーン「モーレツからビューティフルへ」が展開されていました。万博閉幕直墓に発表されたポスターの一枚には「いま、100億円かけて壊しています あの万博会場」という惹句があります。僕は小学4年生。つまり、今から半世紀近く前のことです。
「モーレツからビューティフルへ」の「モーレツ」は、その前年(1969年)、丸善石油の「丸善ガソリン100ダッシュ」の広告キャンペーンの中で、キャンペーン・ガールだった小川ローザが猛スピードで走り抜けるクルマに、ミニスカートの裾をあおられて「Oh.モーレツ!」と叫ぶことの韻を踏んでいるのだと思います。「丸善ガソリン100ダッシュ」の広告キャンペーンは、いかにも高感度高機能なイメージを煽って高度成長そのものでした。
「ビューティフルへ」は、イングランドの経済学者E.F.シューマッハーが1973年に発表した著作「スモール イズ ビューティフル」の「ビューティフル」と重なります。彼はこの著作の中でエネルギー危機を予見し、大量消費を幸福度の指標とする経済学と、科学万能主義に疑問を投げかけました。

一方、有吉佐和子さんが小説「複合汚染」を発表されのは1974(昭和49)年のことでした(朝日新聞紙上)。この作品は、今もレイチェル・カーソンの著作「沈黙の春」の「日本版」と例えられていますが、複数の汚染物質が重なることで、個々の汚染物質が単独に与える被害の質、量の総和を超える相乗的な汚染が広がることを警告した内容になっています。

多くの人々が六本木交差点で1万円札をヒラヒラさせながら深夜のタクシーをつかまえたというバブルの狂乱は1980年代の末のこと。つまり大衆は「モーレツからビューティフルへ」も「複合汚染」も目にはしながらも無視していたということです。

でも、始まってはいたわけです。

翼賛体制から戦争へと多くの人々が流されていく中で、戦後の良心的な文化の源流となるドキュメントは少数の人々で始められていました。当然のことですが「上を向いて歩こう」も突然変異的に現れたものではなく、川端康成も谷崎潤一郎も戦前に彼らの価値観を確立しています。団塊の世代に「書を捨てよ 町へ出よう」といった寺山修司も青森大空襲を経験している。

「進駐軍」と彼らの肝いりの芸能文化、政府主導の消費文化などに大きな影響を受けながら、そうしたことに静かに反抗してきた人々も少数だがひとりではない…

少数なら全部「正しい」なんてことをいうつもりはさらさらありませんが、後の時代になればたいてい間違っているのが「多数決の多数」であるともいえる…
SEALDsの若者たちだって、全体から見れば「少数」なのかもしれませんが、もしかしたら、彼らが未来の常識をつくっていっているのかもしれません。

「私」の解放やら自己実現ではなく、私立だが「公」を念頭に置こうとする人々。

むやみに我を押し通さず、しなやかに たんたんと生きていけばいいのだと思います。

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