美大生だった頃「てめー『無題』で逃げたな」と、口汚く友人とやりあっていました(もちろんフレンドリーにね)。
タイトルをつけるのはそれほどに難しい…物語は画布の中で完結しているのに。文字にできないから画を描いているのに。
ただし、タイトルをつけるなら、画布に描いたものと同等のウエイトで、それを考える必要はあるようです。決して付け足しではない…
なぜなら、タイトル、画布に表現されたもの、創り手の生き様、過去の作品などが、インデックスがつけられてちゃんと整理されて認識されているのは、左脳的な論理脳の分野で、作品を「味わうこと」とは無縁。作品を味わっている感覚脳の中では、そういうことがごちゃまぜになって「塊」として受け取られ、そこで印象が決定される…感覚脳は「これはタイトル」「これは描かれた絵画」と、ちゃんと分類し、整理して受け取ってはくれないらしいのです。
きょう、若いみなさんの卒業制作展を見てきて、画布の中に表現されてることと、題名のクオリティとのギャップの大きさに少し残念な気分になりました。
たんに知っている単語の少なさではなくて、日本語をハンドリングできていない感じ…
表現力はすこぶつるきで高いのに「ものの見方」はステレオタイプでスタイリッシュ…そういうことともに、若い表現者のみなさんの多くの作品に共通して「気になること」です。
いずれにせよ、言葉にちょっと貧しければ、画布に描いたものも貧しい…
だって、描くときは創り手もごちゃまぜの「塊」で描くわけですからね。