国家の価値

さて、鄧小平がそう唱えたという「先富論」。「先に豊かになれる人が豊かになり、先に豊かになった人はそうでなかった人も豊かになれるように助力せよ」というあれです。

ある人は「先に豊かになれる人は豊かになっていい」に力点を置くし、ある人は「そうでなかった人も豊かになれるように助力せよ」に重点を置く。かつての「田中派」の時代は後者なイメージの時代(「先に豊かになった」東京が地方を助ける構図)でしたが、結果、残ったものは、さして必要性もなかった土建な構造物でした。「金持ちは無条件に貧乏人に金を分けろ、そうすることが正義だ」を免罪符に、特に地方にはブローカー的な商いと政治が横行した時代でした。自治体予算を仲間で囲い込む業界団体も発達しました。新規の参入は難しくなり風通しは悪くなりました。

そして、小泉さんを経て、安倍さん家流の時代。今にして思えば小泉さんの施策は「風通しをよくするためにブレーク・スルーする」で一貫していましたが、お家元である安倍さんの時代になると、あからさまに「先に豊かになれる人は豊かになっていい」に特化した時代になり、経済的な階層の二極化は激しくなり、過疎の村々に施されている政府施策はおざなりです。

「先に豊かになれる人が豊かになり、先に豊かになった人はそうでなかった人も豊かになれるように助力せよ」を文字通りに受け取れば、そんなに悪いコンセプトではありません。でも、この「先富論」をたいていの人が我田引水に曲解し、中身を形骸化する…

そのあたりが現況の民主主義の限界です。

「誰もが、まず自分が報われたいと思うはずだ」を肯定するかどうか…このあたりがボトル・ネックというわけです。大衆の心理を巧みに利用して政権を握る為政者たちも為政者たちですが、利用されちゃう大衆も大衆。一方的な被害者とは言い難い…

かのジョン・スチュアート・ミルは「国家の価値は、結局それを構成する個人個人の価値である」と。

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