このスピード

たぶん「極端に違うもの」が共存するような社会になるのでしょう。
一方で無人だが廉価な珈琲を売るcafeがあり、一方で端正な安らぎ、生活文化を提供する、それなりの値段の珈琲を商うcafeがある…
「一億総中流」で「均質化が美学になる」時代が終わるんだから、そういう方向になるんだと思います。
もちろん「端正な安らぎ、生活文化を提供する、それなりの値段の珈琲を商うcafe」も、あくまでも「総じていえばそういう感じ」ではあっても「それぞれに個性的」。画一的なcafeではなく、店主の個性が薫る個人経営の店です。
人々は、その間を行き来するように生活をするのだろうし、もっぱら「無人だが廉価な珈琲を売るcafe」オンリーという人も、その逆の人もいるでしょう。

すでに「現在」だって、そんな感じだとは思いますが、その差が極端になるということです。
一方はメガな大企業の傘下の企業に拠るもので、一方は個人。ローカルな規模の中小チェーンや同業組合的なお店は淘汰されてしまうでしょう。一軒をたんねんに経営できれば生き残っていけるけど、数件でビジネスを、と考えるようなお店は潰れちゃうかもということです。

ただ、こういう変化が明確になるのは、次の社会的な混乱が落ち着いてからになるかも知れません。前の大戦後に準えていえば昭和30年代に入る頃…ということになるでしょうか。でも、あの頃の「1年」と、今の「1年」ではスピードが違いますからね。あと4年で東京オリンピック。その直後に「敗戦直後」みたいになって、そのあと数年で落ち着いていく…10年先の話ではないのかもしれません。

「一億総中流」な常識からのコペルニクス的な展開についていけるかどうか…

あの時代に自ら「常識」を固めてしまった世代こそ、このスピード感がきついんでしょね。

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