論理的な思考という呪縛

「右脳が」「左脳が」という言い方をすると異説もあるようですが、論理的に考える思考と、物事を感覚的にとらえる思考とは(脳内の)別の回路で行われていると考えることには間違いはないようです。
そして「反知性主義の人」っていうのは、本来、論理的に考えた方がいいことを感覚的に行い、そのことに疑いを持たない人のことを指すようですが、僕は、ただたんに「感覚的」ってうのとは少し違うような気がします。

僕らがまだ20歳代の頃、その話し合いのオピニオン・リーダー的な先輩が「なぜ、そういう結論に至ったのか?」と問われて、真顔で「直感的に」という理由を述べる人にしばしば出会いました。今も、国会議員の選挙などで「どの候補に投票するか」を決する理由を「直感的に」とする人も少なくないと思います。

でも、この場合の「直感的に」は真実「物事を感覚的にとらえた結果」ではなく、「論理的に考えようとしたが整理がつかず、結論が曖昧になってしまった」でも「結論を出さなければならなかった」から「直感的に」と誤魔化した…少なくとも僕にはそう思えます。

そして、アートな作品にも、あるいは造り手さんにも、こういう感じは少なくないなと思っています。

一応 芸術学科でしたし、次席でしたが芸術評論のコンペで賞を貰ったこともあるくらい「作品」や創り手の方と交流を持ってきたつもりですが、僕が知る限り、案外、論理的な思考の持ち主が多いものです。ただ、その論理が我流に過ぎて、自ら五里霧中の世界を堂々巡りしている人が大半。むしろ、まっすぐに「自分の感覚」と対話しながら作品を創っている人や創られた作品は少数派のものといえます。

ときどき、自分の驚きに素直に向き合って、その驚きを描き、また、その原因を探るようにさらに作品づくりを続けていらっしゃる人に出会います。
そして、そうした出会いに恵まれたときには、自分の思いをただ画布にぶつけたような作品には全く感じられなうな迫力に、こちらも「驚き」に染め上げられ、自然に「論理的に考える思考」が停止するような感覚を得ることができます。

僕らは、思ったよりも、この国の学校教育に染め上げられているのでしょう。論理的な思考という呪縛から逃れることは容易ではないようです。

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