Legacy …過去から伝承されてきたもの。遺産、遺物。
いずれにせよ、Legacy=レガシーには、たんなる遺物というより、もう少し重い意味があるように思います。
その「Legacy=レガシー」に鑑みて、各地に走る愛らしいローカル鉄道を廃止するのに、その一方で、あれだけの予算をかけて新しい国立競技場をつくる…率直にいって矛盾していると思います。これからの観光立国=日本を鑑みても、恐ろしいほどの損失です。
たぶん、安倍さんをはじめ、現在の為政者には「目に見えるもの」しか見えず「数値化/理論化できるもの」しか、その存在を認めることができないのでしょう(そういえば、このあたりになると、僕が知る限り、高名な学者さんでも疎い方が多い…)
本当は、電車や列車ではなく、あの電車や列車がコトコトと走り行く風情こそがLegacy=レガシー。どんなにお金をかけても即成させられるものではなく、創り出すためには途方もない時間を必要とします。
だから護らなければいけない…
大きな企業などで、維持費はかかるし、維持するための技術の確保など難点が多いけれど、もう業務上不可欠のものになってしまっているコンピュータ・ソフトを「Legacy=レガシー」といったりします。「このソフトはレガシーだから」といえば「もうはずせない」という意味で、例えば、大企業で、これから全社のCPのOSの積み替えをするバカはいないだろということを意味しています。
でも、そのOSの積み替えをしようというのが各地のローカル線の廃止は黙ってみているのに、新しい国立競技場はつくるという日本の政府、あるいはその近辺の人たちです。
繰り返しますが、途方もない損失です。
すでにヨーロッパあたりから来日する観光客の方はすでそうですし、今は薬の爆買かもしれない中国からの観光客だって、やがては、この国を「質的」に愉しみたくなるのは必定です。
それなのに、日本にはファスト風土とソリッドな再開発地しかなくなるのか…
ただし、風土は個人の営みの集積ですから、有志がレガシーを大切にしようとするだけでも流れを変えることはできます。
また、その流れを世界中の誰かが発見し、世界に拡散してくれる時代でもあります。
小さい庶民は政府施策に影響力を行使することは、現実的にはなかなか難しいでしょう。でも、レガシーを念頭に、場所を愉しみ、買い物をする…それだけでも十分に成果を上げることはできます。
文化、特に生活文化とはそういうものです。