うちのオヤジもそうでしたが、現である限りは、何をしていても、その時間はどこかで「仕事」とつながっているわけです。散歩は街づくりの取材みたいなところがありますし、写真をとってはアートやデザインを考え、ブログを綴っては、プレゼンテーションや報告書の文章表現の練習をしているのかもしれません。でも、強いられている感じは一切なく、むしろ楽しい…僕はそういう仕事を選んだということなのだと思います。
バブルの頃は、この働き方を「ワーカホリック」みたいな感じで評価されていました。しっかりとONと切り離されたOFFがないのは病気だというわけです。でも、逆に、わが家では、どうせ24時間営業みたいになっちゃうんだから、そうなっても嫌にならない仕事を選べと教えられました。これは、たぶん、父方、母方とも親類一族郎党、みんな自営業だった家だからでしょうが、給与所得者の方でも、創意工夫を生業とすればどこでアイディアが生まれてくるかは見当がつかず、24時間営業は必定なんだと思います。
恐らく「ONと切り離されたOFF」を実現できるのはマニュアル・レーバーだけです。開拓営業じゃなくてルート・セールスっていう感じの仕事だげでしょう。そして、近く、そういう仕事はAIかロボットに取って代わられます。
そういうわけですから、僕は、枕元に方眼紙を置き機械を造る上での工夫が思い浮かぶとメモっていたオヤジを見て育つことができてラッキーだったなと思っています。
確かに上手くいかないときはストレスですが、仕事自体は面白いものです。
(奥さんともこの調子でしゃべっていますし、うちの社長は奥さんです)
探検家に「家」ってつけるのは、それを生業にしているからなんでしょうが、なぜ「家」だったのかといえば、「家」は、努力家、愛妻家という言い方があるように「パーソナルそのものを表す言葉」だったからでしょう。そういう個性なんだということでもあるんでしょう。
僕は、悪いことではないと思っています。