きのうと変わらぬ顔

若い方でも巨人軍の終身名誉監督であるところの長嶋茂雄さんのことはよくご存知だと思いますが、彼が巨人軍に入団した昭和33(1958)年8月。米軍厚木基地所属のFJ-4戦闘機が横浜市神奈川区神大寺に墜落。パイロットは死亡、民家2戸が全壊、4戸が半壊、1名の重傷者を含む8名の方がケガを負われています。
現在55歳の僕が生まれる3年前ですから、若い方にしてみれば「歴史」のかなたの出来事かもしれません。でも、1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書に「もはや『戦後』ではない」という一節があって流行語になった直後の出来事でもあります。

ホントに「戦後」だったのかな。

そして、あの事故が起こったのは1977(昭和52)年。ピンク・レディーが「UFO」などで大活躍し、キャンディーズが「暑中お見舞い申し上げます」を大ヒットさせた年。「8時だョ!全員集合」は土曜のお決まり。ツービートももうデビューしていました。戦後70年とはいいますが、徴兵制度のないわが国でも、市民が戦闘機に殺される時代は、つい昨日のことだったようにも思えます。

(もちろん、現在、36歳の方でも「生まれる前」の出来事であることはわかっていますが)

最近になって、小学生の頃のように攻撃機の機影を見上げることが急激に増えてきたような気がします。

僕が暮らす横浜市神奈川区には未だ米軍の接収地になっている瑞穂埠頭があるので、軍服がはみ出たクリーニングバックを担いだ若者が歩いていたり、米軍関係者の使用車であることを示す「Yナンバー」のクルマを見かけることもしばしばです。

「戦後」もあやふやなうちに、もう「戦前」かとも思います。

確かにきのうと変わらぬ顔をして、きょうはあしたになっていきます。でもね。1945(昭和20)年3月9日の東京の夜だってきっと「きのうと変わらぬ顔」をしていたはずです。
とにかく、僕らこそ「大船に乗ったつもりで」だけは避けておいた方がいいと、そう思っています。

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