本気でフィクションを現実に生きようとしていたような人を何人か知っています。もちろん、あの頃のヨコハマの人です。
あの頃のヨコハマ人は、本気で「ハマトラ(ヨコハマ・トラディショナル)」ファッションはヨコハマ発の流行情報と信じ、どこかで松田優作さんや藤竜也さんがショットグラスを傾けているBARがあるものと信じ、それをプライドにしていました。
それ故、漫画の主人公のような日常を送ろうとしていた人が実在していたのです。
でもね。やっぱり「消える魔球」を現実に投げることはできません…みんな自分のつくったフィクションに追い込まれ、へとへとになっていました。
子どもの頃からヨコハマに育てば、テレビの中のヨコハマと自分の日常が焦点の合わぬ二重露出のようになってしまいます。背景は同じなのにスカっとするようなドラマがない…無頼な主人公も、胡散臭い悪役も登場せず、目にするのはみんな気のいいおじさん、おばさんたちです。だから、ある種のセルフ・サービスなんでしょうね。
でも、輝きは一瞬でしたね。
もちろん、野獣であるところの人類が人間然としていることからしてフィクションなんですが、つまりは度を越していた…
なにしろ、もともと嘘っぱちな街に、小説、映画、テレビと嘘を重ねていく…
そんな街に暮らしていればおかしくもなりますよね。
今の僕は、そんな嘘っぱちな街を丘の上から見下ろす感じで暮らしています。そうすると、実際にいろいろなことが見えてくるものですし、それより何より気が楽になりました。
あらためて、あの渦の中に飛び込んでいくのは危険だなぁと思っています。