海路の日和

ヨコハマから上がってくる利益のほとんどは東京から(古くは江戸から)やってきた人びとに吸い上げられ、そして彼らは土着することなく「帰って」しまうから、経済的な利益のほとんどはヨコハマに残りません。それ故に、未だにヨコハマはヨコハマを御きれるだけの財力も、そして、どうしても経済力を背景に育まれることになってしまう「知力」についても、それを持ち合わせてはいません。

でも、文化を発信するのは個人やマイノリティだったりしますから、それはまた別のはなしになります。

確かに受け手の質は問われますが、横浜村な人々や市役所に向けて発信しなければいいだけで、インターネット環境が整った今はチャンネルも世界に向けて開かれています。

1970年代後半〜80年代にかけては、雑誌「JJ」が仕掛けた「ハマトラ(ファッション)」やユーミンの「海を見ていた午後」など、実は東京の創作によるヨコハマ・ファッションが跋扈していましたが、同時にとてもカルトながら東京のビジネスが絡まないホントのヨコハマ・オリジナルの情報も元気でした。

でも、あの頃の面白い人たちは、ヨコハマが植民地だということにも、都会的な外観をつくっているのは東京の人で、この街に暮らしている人は都会キャリアが浅い人ばかりだということに気づかずに、失望しながら四散してゆきました。

寂しくても仲間を得ようとせず、ひたすらお客さんや消費者とのコラボレーションを目指し、そのことをインターネットで発信していく…そういう風に考えれば、この360万都市は、やはり市場に恵まれ、在来交通機関にも恵まれている街ですし、東京にも近い…

東京のビジネスに利用されるんじゃなく、東京を利用する…

そういう方向を目指すなら、きっと海路の日和もあるでしょう。

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