緑は蘇る

関東大震災のときも、そして戦災からの復興も、ヨコハマの場合、極端に「産業復興」が優先されました。
ヨコハマ地元の人々に都市「ヨコハマ」を運営する力量がなく、前の大戦後、この街を占領した連合軍を含め、その運営に実権を握っていたのは「よそ者」。そういう人々にとって、ここは「金を稼ぐところ」に過ぎず、暮らし心地などは二の次だったのでしょう。いずれにせよ、京浜工業地帯と物流拠点としての「港」の復興ばかりが急がれました。

そして復旧なった産業は多くの労働者を全国から集めます。受け入れ態勢なんてまったく整っていないのに

(僕が高校生になっても、今は副都心的な上大岡駅近くの住宅が汲み取り式のトイレで、大学生になっても瀬谷区の下水道普及率は10%台でした)

「居住者」だけが爆発的に増えていく…今もそうですが生活利便の充実度に比較してヨコハマの地価は東京よりも高め。つまり「お買い損」なわけです。

でも、こんなに判りやすいカラクリにたぶん先輩方は未だに気づいていないなと思います。
もちろん、中には気づいている人もいるでしょうが、そういう人こそ「金を稼ぎに来たよそ者」の「おこぼれ」にありつくことを目指した人々でしょう。生活空間としてのヨコハマなんかには無関心。関心の中心はヨコハマでいくら儲けられるかということなんだと思います。

ただ、貧乏人には貧乏人の力強さがあり、伝統的な家系がなかった港都ヨコハマですから風通しもよかった…

そのあたりに「息吹き」がなくはありません。

1980年代をピークに、彼らに廻るあぶく銭も減少の一途ですが、367万人という消費者を残したことも事実です。
重厚長大産業の時代が終わり、産業振興=地域振興の時代が終われば利権を握る人たちの勢いも失せる…これで目の上のたんこぶがとれてくるわけです。

もともと行政の支援が薄く、セルフ・サービスを余儀なくされてきた貧乏人たちは、どの街よりしたたかでもあります。
つまり、ヨコハマがデトロイトになって焼け跡のようになったらばこそ、雑草は勢いを増し、緑は蘇るというわけです。

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