ただ、それだけの話し

僕が小学生の頃から野毛やら伊勢佐木町、関内から山下公園あたりの地盤沈下については横浜市役所の出版物でも心配されていて、それなりに公共事業も集中投資されてきたけれど、結局、勢いを盛り返すことはできませんでした。三菱系が主導してきた「みなとみらい」に、あっさり「ザ・ヨコハマイメージ」が乗っ取られてしまったことと考え合わせると、皮肉なまでの実力差です。

ヨコハマほどの大都市になると、一自治体とそれに連なる地域企業の実力、資本力ではどうにもならんということでしょう。

高度成長期の後半、横浜駅東西口がヨコハマでは最も栄えた商業集積地になったのも、東口が主に三菱な感じと西口が主に三井さんな感じと両巨頭がぶつかり合う接点になっていたからです。確かにヨコハマには300万人以上の消費者が住んでいましたが、それを動かしたのは三菱、三井さんほどの財閥グループとそれに連なるナショナル・クライアントな大企業です。
そのことを横浜市役所とそれに連なる地域企業は、今に至るもはっきりとは自覚していません。むしろ自分の手柄だと思っています。それ故、綱島あたりにアップルの生産拠点が来るだけでなく、今は三菱系との距離が近い東急さんと三井住友銀行さんから社長さんがやってくる相鉄さんが相まみえることになる「日吉〜綱島」あたりが最も栄える街になるとは夢にも思っていない人が多い…

だから、すでに東急さんが実質撤退し、相鉄さんが渋谷の方向を向いてしまった横浜駅西口の再開発は続いている…
構造的に、横浜駅東口とみなとみらいの一体化は進み、西口は孤立させられていているのに、それを笑い話のように聞くのがヨコハマ旧都心な人々です。
本来「半分は民間に借りてもらうか売却して」という話しだった横浜新市庁舎も、いつの間にやら建物全体が横浜市役所のみ。今、各部署は関内各所の民間ビルに散っているわけですから、これが空洞化するだけという結果が待っています。

よっぽど優秀で敏腕な市長さんでも登場すれば別ですが、それは「西から昇ったお日様が東に沈む」ような奇跡かな。そもそも「これから」では間に合わんことも多いし。

順当に行って横浜都心は敗戦直後からやり直し、その一方でうらぶれた温泉跡地は世界の「TSUNASHIMA」になっているのでしょう。

でもね。都市なんてそんなもんです。1961年生まれの僕は浅草の全盛時代を知りませんし、1960年代末な新宿の喧騒を知りません。東京でさえ、そんなもんです。

ただ、乗っていける人と置いていかれる人がいるだけ。それだけの話しです。

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