こういう民主主義

「持論」と「共感」
「持論」っていうのは、ちゃんとした検証をしていない「私はこう思う」のままの「論」ということです。まさに「論拠は自分」であって、辞書に曰くの「その人独自の意見」です。

そして、この「持論」を発表して、そに持論に「共感する人」を集めて多数決の多数にする…これが民主主義なら「その持論」がちゃんとした合理性があるのかどうか、誰も検証していないということにになります。「持論」を発表する側も「共感する」側も論拠は勉強嫌いの「自分」です。

恐ろしい…

でも、僕らの民主主義は「持論」と「共感」です。利益集団が核となりプロパガンダを駆使して共感を呼ぶ…そんな感じです。

もしかしたら、学校教育で「個人的な感想」を大肯定してしまうのも、そのプロパガンダの一環なんじゃないかと思えるくらいです。

「郵政民営化」のときの小泉劇場を思い出します。
街頭インタビューに応えるおとうさんは「郵政民営化」に賛成だとはっきりと応え、そして「郵政民営化」の内容を問われるとしどろもどろになってやがてはフェイド・アウトしていく。でも投票に行くかと問われれば、やっぱり「投票に行く」とキッパリと答える…

こういう民主主義に、僕らの未来を託すことはできるのかな。

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