井の中の蛙

「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る」の「されど空の青さを知る」は、実は後になって付け足された文言なんだそうです。

やっぱり、この諺が言いたかったのは「狭い世界に生きて広い世界のことを知らない」だんたんでしょう。実際、井戸の中にいると天上の「空の青さ」を知ることができても、地上にある世間のことについては窺い知ることができず、つまりは「広い世界のことを知らない」になってしまいます。

ボストンの街角を、ヨコハマの街角の常識をもとに推測するのは危険だし、視覚としてはどこの街へでも行けそう(Googleなんかで)な時代になったればこそ、自分が育ってきた環境が自分にもたらす常識を(場所ごとに)正確にアジャストすることができるだけの見識は必要なんでしょう。

同じヨコハマに居たって「港ヨコハマ」の常識と、港北ニュータウンな常識は全く異なります。
旅行好きのオフクロも、逆に生活圏としてはほとんど元町あたりから動きません。それ故に、都筑区の「ららぽーと横浜」の若い喧騒にびっくりすると思います。
たぶんオフクロのあの辺りの印象やその記憶は1970年代くらいで止まっているでしょう。そして今は数年で街は様変わりしてしまうのです。

グローカルを志向しようにも、その街のことしか知らなければ、やっぱりただのローカル。あの「葉っぱビジネス」も大都市の需要を知らなければ発想できないことですもんね。

井の中の蛙」への2件のフィードバック

  1. Sachie の発言:

    どんなに権力がある人も、学者、政治家も、宗教の指導者も、「井の中の蛙」なんじゃないかと思います。人によっては幾つかの「井」を持っていたり、その「井」の大きさに多少の違いがあるにしても、誰もが「蛙」なのかなと思ったりしています。だから地球のあちこちがいつも蛙の合唱だらけ。

    • おっしゃるとおりです。分業制の中で自分の分担以外に関心を持たなければ、全体が見えない。故にレジスタンスも生まれにくく「工業生産時代」も「近代社会」も安泰です。
      うちのオヤジは技能職故に神経質に「眼科」に通っていましたが、重篤な糖尿病は長年放置されて、結局は片目を失いました。眼科は内科ではないというところでしょう。
      でも工業生産時代が終わると分担の中だけに閉じているわけにもいかなかくなり、急激にか、ゆっくりとか、「井の中の蛙」の時代も終わります。為政者が好むと好まざるとに関わらずそうです。

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