私 塾

アクアリウムっていうのがありますね。水槽でつくる盆景のような、透明感があって惹きこまれる魅力があるあれです。

学者さんやその道の専門家と言われる人々、それに都市計画や自治体経営レベルで判断をしなければならないお役人は、このアクアリウムを眺めるような視座から「街」や「都市」を考察し、判断を下そうとします。あくまでも水槽の外から「あるべき」を考え、水草の位置はここがいいとか、石はここに置こうとか、そういう提案をします。彼らもわざとそうしているわけではないのでしょうが、ひとりの体感で捉えることができない巨大さの「街」や「都市」を考えようとするとき、しばしば人間は、そこに泳ぐ魚たちに等身大の居心地を見失います。

一方、現場のベテランは、彼の現場が「宇宙」。鳥瞰図のように全体を眺め、俯瞰して判断することができないばかりか、その常識がどの国に行っても通用するものと思っており、いつまでも1980年代あたりがリフレインしているように時代の変化を見落とします。

この両者の限界が問題を複雑化させます。

同じcafeのことを考えているのに、一方は棒グラフや折れ線グラフ、数値が、そのcafeで、一方はきょうカウンターのスタッフにいきり立って怒鳴っていたお客さんの表情が問題の起点です。

社会学には「参与観察」という研究手法があります。学者さんとしてのトレーニングを積んだ上で、例えばホントに旅芸人さんになっちゃってその観察記録をつけ、考察をしようという試みです。

僕は、このあたりに打開策があると思っています。
現場の経験を豊かにするだけでは「鳥瞰図のように全体を眺め、俯瞰して判断する」能力は育ちません。だから、そうした方向で研鑽を積んできた人が、まずは「アクアリウムを眺めるような視座」を離れることだと思っているのです。

(特に工業生産時代の経験は創造的ではなく、40年の職務経験も「複写するコツ」だったりします)

ただし「鳥瞰図のように全体を眺め、俯瞰して判断する能力」は、たんなる読書量ではまったく育てられないところが泣きどころです。つまり「自習」は効かないのです。

日本では始まったばかりですが、すでに欧米では高齢になってから大学や大学院で「さらに学ぶ」、一定の職務経験を持って大学や大学院で学び直すといったことがまったくイレギュラーなことではありません。

そのためにも、無料化を含めた学費の軽減策が必要です。日本ぐらい大学や学費が高い国もありませからね。フランスの大学初年度納付金は2万円弱。ドイツは1万5千円くらい。アメリカ合衆国でも州立になれば初年度納付金は40万円くらいです。

ポスト工業生産時代に、これは致命傷になる可能性が高い…

ただ、お上に文句言ってても始まらないのはいつも申し上げている通りです。だから街場では「鳥瞰図のように全体を眺め、俯瞰して判断する」能力を育てる「私塾」みたいなものの設立の可能性を探ってみる必要もあるんでしょう。

突拍子もないことをいっているとは思いますが、現実的に考えてみればそういう結論になるんだと思います。

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