引用

退行欲求

幼いままに誰かに甘えていたい/でも人間成長して艱難辛苦を受け止めていかなければならない(成長もしたい)。
そのアンビバレンツな欲求の間に「悩み」が生まれる。
そして、悩んでいる間がモラトリアム。少なくとも立ち止まれる…

と、加藤諦三さんはおっしゃる。…なるほど。

退行欲求(≒「幼いままに誰かに甘えていたい」)で生きている人ほど偽りの愛に弱い、自分に心地よい話をしてくれる人を良い人と思う。子どもを誘拐する犯人は、「私は誘拐犯だよ」と言って子どもに近づかない。子どもが欲しいものを持って現れる。質(たち)の悪い人は、退行欲求で生きている人のほしいものをぶら下げて現れる。その餌に飛びついた時に、その人は釣られたのである。そして生涯奴隷のように働かされるかもしれない。ビジネスの場で妙に親しさを強調する人がいる。「こんなビジネスの時に個人的に親しいなどということを強調する必要はない」と心理的に健康な人は疑問に思う。ところが自己憐憫するような孤独な人は、個人的な親しさを強調するとコロリと騙される。愛に飢えていると、「私はあなたと個人的に親しいからあなたには特別に全力を尽くす」という主旨のことを言われると、相手が親身になってくれると思ってしまう。こうして質の悪い異性に騙されたり。質の悪い不動産屋さんに騙されたりして人生を棒にふる。

加藤諦三著「悩まずにいられない人」から by 久米書店

…ああそうか。
でも、(僕らの世代くらいだと)大半の人生ってこんなでしょうね。

でも、まぁ、幸か不幸か、子どものままで一生終わることができないのは火を見るより明らか。
加藤諦三さんも、まずは「いつまでも子どものままでいられないんだ」と踏ん切りつけることから幸福が始まると思っておられるようでした。

高度成長期には庶民も庶民なりに「あぶく銭」を持ちましたから、けっこうな年齢になるまでモラトリアムが効いちゃって、悩み多きままに人生を棒にふることができました。でも、今の若者は若いうちから「成長して艱難辛苦を受け止めていかなければならない」から、彼らの方が幸せになれるのかもしれません。そして、その方が社会も幸福になるはずです。

こちらは「自己憐憫するような孤独な人」の塊のような世代に属するんで、なんだか申し訳ない気もしますが、彼らの苦労を高みの見物というのではなく、実効性のあるエールはおくりたいと思っています。

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