賽は投げられた

工業生産時代の教育に育つと「倣う」と「習う」とをすっかり取り違えたままに大人になってしまいます。自分の判断力を磨くためにではなく、ただ「真似る」ことが学習だと勘違いしたままに、いい歳になってしまったということわけです。
でも、複写機としての性能は時代が省力化の対象にしています。検索エンジンがあるから、ただの「知っている」に値打ちがなくなるのと同じです。

世の中が要求しているのは、深い洞察力と判断力です。あとはコンピュータとロボット、外国人がやってのけます。

淘汰は「質的」に起こります。深い洞察力と判断力を持った薬剤師さんは生き残り、さらに厚遇されるようになるかもしれませんが「知っている」だけの薬剤師さんは、薬剤師さんでも淘汰されます。薬剤師さんだけでなく、多くの「士業」と呼ばれる国家資格者にも、同じような淘汰の波が押し寄せるでしょう。

電話交換手が花形だった時代もあれば、職種ごと絶滅させられた時代もある。職種とはそうやって時代とともにあるもの。「驕る平家は久しからず」というわけです。

少子化が「人手不足」を恒常化させるわけではなく、コンピュータとロボット、外国人の汎用化の呼び水になる…

オックスフォード大のM・A・オズボーン准教授の「今後10~20年でアメリカの雇用者数の47%の仕事がコンピュータ化されるリスクが高い」は警告ではなく予告でしょう。

もう「賽は投げられた」って感じがします。

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