天下餅

織田がつき羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川

いわゆる「天下餅」という狂歌です。織田信長が天下布武の狼煙を上げ、豊臣秀吉がついに惣無事令を出すことに成功するが(これで戦国の世が終わる)、260年の太平を徳川家の掌中にしたのは家康の「老獪」さを皮肉っぽく表現した歌です。家康が「横取り」的に天下をさらっていっていったかどうかは別にして、確かに信長ー秀吉ー家康の流れは、零号機より初号機、初号機よりは弐号機と進化していった感があるように思います。

僕は「お役人たちの仕事」にこれと似たような因果関係があるように思います(もちろん「進化」ではありません)

信長に当たるのは「1980年代中頃から90年代中頃」にかけての行政政策であり、その立案や施策にかかわったお役人です。主役は団塊の世代です。
彼らが実現可能性のない、それも担当者個人に主観的な夢を、実際の法律や条例にし、施設や街路をつくりました。この間、行政は借金を膨らませるとともに、それぞれの担当者がアドリブをかました負の遺産を生み出しました。そして、手に負えないと思ったものは躊躇なく放置しました。

(その負の遺産は今も害毒を撒き散らしながら、街の現実にモザイク画状に関連性なく点在しています。そして放り出された案件は空き地のまま症状をこじらせています)

でも、彼らは退職してもういません。この頃になって「大風呂敷を広げすぎて」と反省の弁を述べていたりいますが、それ以上のことはありません。退職後は安寧に自分に篭って人生を送っています。

そして、彼らの後を託された後輩たちは、先輩たちがつくった法律や条例を遵守していたのでは仕事にならないために「臨時措置」「断定利用」という名目で、自ら法律や条例を破っています。そうしなければ空き地は空き地のままだし、負の遺産は、これからも害毒を撒き散らし続けるからです。

これがだいたい今の現役世代です。

当然のことながら、こんなことをやっていたらやがては無秩序です。でも、現実に各地でそういことが繰り返されつつあります(これは現在進行形です)。

仮に篤志な政治家が現れてお役人の姿勢を正しても、ただそれぞれの事業がストップするだけ。ストップすれば、政府だろうが自治体だろうが国民・市民もろとも路頭に迷うか、弱肉強食なパニックです。タイムマシンでもあってタイタニック号が氷山に激突する前に時計の針を戻すことができるなら、話は別ですが…

今のアラフォーくらいの世代がこの状況を受け継ぐのが、ちょうどオリンピック・バブルが弾け、団塊の世代が後期高齢者に入る5〜7年後でしょう。彼らはもともと複写機体質でチャレンジとかブレイクとかといいう気概に乏しいんですが、仮に気概があっても奇跡を信じることは、それこそ「シンデレラ城にかぼちゃの馬車」でしょう。

つまり、彼らが家康です。状況は長く続きます。

なかには成績のいい自治体もあって数年以上前から具体的な手当を始めているますし、それなりに地方議員としての経験を積んで「お役人」に詳しくなった後に「新進気鋭な首長さん」になった方を擁する自治体もあります。でも、そういう自治体は全国で十指にすっぽりと収まってしまうほど。たいていの自治体は「昔の名前で出ています」です。それが僕らの暮らす市町村のスタンダード。政府はデカ過ぎて手当不能でしょう。

座りしままに餅を食ったのが戦後の第一世代。餅がなくなっちゃったから臼を削っちまったのが高度成長期世代。そしてアラフォー世代が杵を入れたから臼が真っ二つに割れたと…

そんな感じですかね。

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