フィクションに埋没して

そもそも「人間らしさ」がフィクションです。それ故、己がリアルの醜さを忘れるために、人はまた「美しい物語」を重ねます。でも、そんな日常を重ねているうちに「美しい物語」は現実を遠く離れて独り歩きを始めます。ヒトラーが曲解した上で信奉していたという優生学などが、そのいい例です。

確かにドキュメンターな映像作品だって、その現場にカメラが入って、しかも映像が編集されるなら、それは100%リアルな状況を映したっと映像とはいえません。だいたいカメラには「画角」がありますから、その現場にはカメラに写せなかった事実もあったはずなのです。

ドキュメンタリーだってフィクションです。

でも、ドキュメンタリーにはその元ネタになる「現実」はある。「シンデレラ城へかぼちゃの馬車に乗って」という完全無欠のつくり話ではないのです。過度な演出がなされれば「やらせ」の汚名を着ることにもなります。

ところが、そもそもが「人間らしさ」というフィクションと一緒に生きてる人間ですから、簡単にフィクションの中に埋没し、リアルを忘失することもできます。

(つまりヒトラーがそうだったわけですし、彼を信じた当時のドイツ国民がそうだったわけです)

さて

8000億円になるか、4000億円になるかのギリギリの交渉。でも、その8000億円なり4000億円なりが国民が支払った税金であり、彼らのお金でないことがどこまで念頭に置かれているのか疑問です。

彼らはどこまでドキュメンタリーに生きているのか。フィクションに埋没してしまっているのか…

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