存在証明

なんでそんなに「持ち家」に拘るのかなと思います。
特に大都市の「一戸建て」。同じ値段で購入するならマンションの方がマシだろうという「狭小」で日当たりなどの条件もよくない建売住宅に程なく買い手がついていくから不思議です。

でも、こういう感想を持つ僕はとても幸せなのかもしれません。生まれてこのかた「持ち家」にしか住んだことがなく(税務上「借家」だったりしましたが)オヤジの方は東京に長い家で「ご近所」というコミュニティの中にあり、オフクロの家もオヤジの家にははるかに及ばないものの歴史の浅いヨコハマでは長い方で、やはり地域に足場がある。その気になれば「あっちこっち」に「傘を貸してもらえるところ」があるというわけです。
しかも、僕は「個人で自営」です。心細いといえば心細いのかもしれませんが、大きな会社の部品のように自分の存在をかき消されることはありません。

生まれ育った地元を後にして足場のない大都市に暮らしながら大きな会社に就業時間を過ごし、忙しければ家族とも疎遠になり、自分はすっかり「Nowhere Man」。

一戸建て住宅の「表札」だけが、自分のCIであり、存在証明なのかもしれません。

お母さんだって、自分の名前を失ってしまって「○○ちゃんのママ」であり「○○さんの奥さん」な状況に、無意識のうちに存在証明を求めているのかもしれません。

そうでなければ、10畳は入らんだろうという狭い崖下の土地から木造で3階建てを上げ、1階に玄関がつくれないから玄関は(崖上の)3階から、という潜望鏡みたいな住宅がこんなにも増えるわけないと思うんです。建物外装も内装と見間違わんばかりのビニール張りですしね。

なんだか哀しいな。

「家」ってなんだろう。たぶん20年もするうちには、子どもたちはみんな出ていっちゃってるんですよね。

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