国家という方便

政府首脳にとって、国家間の戦争は半ば「戦争狂言」みたいなところがあって、ある意味で予測がつくことなんだと思います。
そうした前提の上で、政府の手詰まり感をなんとかしたい…悩んでいる国が多ければ多いほど。その狂言は「世界大戦」という規模になっていくのでしょう。
でも、いわゆるテロは、彼らの「狂言経験」にないもの。ブロードウエイを正調とするなら、同じ狂言でもオフ・ブロードウエイか、オフオフ・ブロードウエイのものなんでしょう。だから政府首脳も官僚も、本気で戸惑っている。でも、これから先は彼らだけでなく、仕掛ける側もアドリブか、エチュードです。

しかも、サイバーテロなら「個人vs国家」の戦争だってありうる。一億人を人質にとることだって不可能ではない…

たぶん、国家という方便が通じない時代が実際に始まっているのでしょう。
僕らが国家という方便しか知らなければ、僕らが置かれている状況は思っている以上に困難です。

時代は、僕らの同胞に尊い犠牲をしいます。たぶん人類が間違った方向に進んでいる限りは葬列は続きます。恐らく、前の大戦時、兵士として北の海に沈んだうちの叔父貴もそういった犠牲者の一人だったのだと思います。痛ましい犠牲者に謹んでご冥福をお祈りするだけでなく、僕らは一日も晴明な社会を実現することでしょう。

国家による統制の時代から、自治的な社会の構築へ。

後世、この出来事を、めでたき出産の陣痛だったとできるように。
僕らは明らかに試されています。

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