可視できる部分

確かに「日光を見ずして結構というなかれ」という諺もありますが「日光見ぬバカ、二度見るバカ」という諺もあります。もちろん日光に罪はありませんが、どんなに興味深い建築物も空間も「一度見りゃよい」といことではあると思います。それ故、二度め以降も楽しめる日光なら、日光が場所性として豊かであるということになるのだと思います。

場所性…

ビジブルに可視できるものではなく、故郷がある人には感じられる、その土地の雰囲気のようなもの。匂い、風の感じ、あの人の笑顔…たぶんに自分の思入れから生じるもので他人には感じられない部分もあります。僕が観光客としてきょう初めて観る姫路城ではなく、姫路に育った人が久しぶりに帰郷する際に降り立ったホームから見える姫路城。建築物として可視できるものは同じでも「場所としての姫路城」は全然違ったもの…社会学的な分類軸です。

リピーターを呼ぶのは、その街が持つ「場所性」「場所性の豊かさ」です。

ヨコハマは、この部分に水やりもせず、ただただビジブルな建築物などを肥大化させてきた…
ある時期から、可視できる部分が全てだと思っている人だけが街づくりに決定権を持ってきたんでしょう。

万国橋の近くには「東京ロースター」という珈琲焙煎メーカーがあって、いい匂いがしてたんですが、今は昔の話です。

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