残酷なスピード

大学院で苦労を重ねて作法を習得し、認められて、南の島に調査に出かけた文化人類学者がいたとします。
実際の現地の人との交渉も難しく、また研究者としての客観性を維持していなければならないのに、個人的に親しくなってしまう人もでてきて、彼は悩んでいます。どことなく自分が「先進国の人だ」と「上から目線」になっているのではないかと気に病んでもいます。

ある日、その島で同国人の若者に出会います。ただ世界を旅しているだけだという彼は笑顔のさわやかな青年で、すでに彼なりの居場所と居心地を確保しています。

彼は言います。「インタビューの客観性云々をいうなら、彼らにカメラを渡して自分たちを撮ってきて貰えばいいじゃないですか。今時は何をしてもカメラは壊れないし、録画容量もものすごい量。小さな島ですから、カメラ持って、どっかへ逃げちゃうっていうこともないでしょう」

文化人類学者は、自分が大学や大学院で過ごしてきた時間や、研究者としての悩みの「虚しさ」を思います。少数のサンプル・データでいかに全体を正確に知れるかに腐心してきた統計学者が「ビック・データ」を目の前に愕然とする気分に似ています。

明らかに何かが終わろうとしているのだろうと思います。

印刷技術の発達が、街中に情報を触れ回ったタウンクライヤーを職種ごと消し去っていったように、これまでの「当然」が木っ端微塵に吹き飛ばされていく…
でも、人々の思いや努力をあっけなく吹き飛ばしてしまうような時代の変化でも感傷に浸っている閑はありません。

時代は残酷なスピードで変化していきます。

残酷なスピード」への1件のフィードバック

  1. 確かに、残酷なほどに変化していますよね。
    でも、変化こそが「発展」だとも思うので、自分の築いてきたものに固執しすぎて老害にならないよう、新しいやり方からも学び続けていたいと、ワタシも思います :D

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