ジェンダー

以前にも書かせていただきましたが

僕はね。「人間らしさ」っていうのが、そもそもフィクションだと思っています。
実像の僕らは、おぞましい弱肉強食な「人類」という動物。殺して食うんです。酷たらしくてもね。

オランダの野生保護区に暮らす野生の馬たち。お産をして、でもその子馬が死にかけている。少々ケアはするけど、でも、お母さん馬はすぐにきらめて行ってしまう…まだ、子馬は生きているのに。
NHKの番組「ワイルドライフ」で観た光景ですけど、僕は人間の実像もあんなもんなんだと思っています。

そして、動物としての人間は、本来なら氷河期の頃にすでに絶滅していたんでしょう。凍死していたろうし、サーベル・タイガーか何かに捕食されて全滅です。でも、なぜか人間は「針」を生み出し、毛皮やテントをつくって生き延びてしまった。火をかざして猛獣を追っ払ってしまった。
その後の人口暴発も「農業」を発明して生き残り、娯楽をつくってストレスを発散される術も身につけた。つまり、頭に描いたフィクションを現実化させることで生き延びてきたわけです。
そして、現在も、ディズニーランドへ行くことが生きがいになっている人がいるように、今もフィクションは人間の生命を支えている…

人間は天然の生命であるとともに物語な生命でもあるという両性具有的な存在です。

僕は、ジェンダーを「文化的な性差」だと考えています。自然が与えた性差ではなく、人間という物語の中にある性差。そして、その文化的な性差は「自然が与えた性差」を超えて、人々を苦しめることもある…
でも、ジェンダーな性差を否定することは「人間らしさ」そのものを否定することにもつながる…

みんなで考える必要がありますね。
僕らは「人類」であり「人間」ですからね。
そう思って、最近、少し勉強を始めました。

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