それぞれが仮説だし、それぞれが実験的

これからは二極化も激しいものになるのでしょうから、ピカピカなハイカルチャーを目指す人も増えていくのでしょう。
ますます混迷する社会に、これまで以上に、より「みんなで」を目指す人も増えていくのだと思います。寒風の中、押し競饅頭で暖を取ろうとするのと同じです。

(そういう「みんな」は排他感、強いんだろうな。なにしろヨド物置に200人が乗る感じですからね)

一方、どちらも目指さす「ひとりか少人数のユニットで仮説し、実験していこうとする人たち」も、全体に比較すれば、ぐっと少数でしょうが、増えていくのだとは思います。

つまりは「混迷」ですが、次の時代のイメージはもやもやだし、安倍さんの言うとおりにしていれば、不本意な博打に加担せられた上に負ければ「命」からして借金のカタに取られるだけのような気もします。少なくともバラ色の未来が待っているようには思えません。

誰もね。積極的にセルフ・サービスを始めるわけじゃないと思うんです。どちらかといえば止むに止まれずだし「知らず知らずのうちに」だと思います。

だって、生活には切れ目がありませんし、休みもありませんからね。

そして、ある人は、安心と安全のために「お金とステイタス」を目指すのだろうし、多少は息苦しくても「みんなで」を求める人もいるのでしょう。
でも、いずれにしたって教科書があるわけではありません。たぶん「お金とステイタス」「みんなで」は「これまでの『安心、安全』のタネ」から類推されたものでしょうが、やっぱり仮説だし、それぞれが実験的です。将来に功を奏するかどうかは誰にもわかりません。

だから「ひとりか少人数のユニットで仮説し、実験していこうとする」も、そんなに無茶なことではないんだと思います。

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