活かせるならば

そもそも、セミナーを受講することや大学生でいることでさえ、多くの場合「気やすめ」だったんだろうと思います。
どんなセミナーでも大学でも活かせる人はいて、そういう意味で「身につく」を実践してきた人はいるのだと思いますが、たぶん、そうしたきことを実践できた人というのは極めて少数です。でも、卒業や修了の免状はいとも簡単に出されてしまう。大学進学率がうなぎ登りだった時代とは、そんな時代だったんだと思います。

「身につく」を実践できる人は少数。その状況は変わらないのに卒業者・修了者は、量産され免状は簡単に出される…故に、東大卒にしろ、鍼灸師にしろ、「並」の人ならすでに(本人として故意はないながら)その看板に偽りアリなんでしょう。
僕らは被害者でもあり(無為ながら)多くの場合、加害者でもある。そして、そのことは、受講者になること、学生になることが「将来のためになる」モデルであった時代の終焉を意味します。

もちろん、活かせるならば、これからも受講者になり、学生になるべきでしょう。でも「活かせるならば」です。受講生になり学生になること自体が将来を約束してくれているわけではありません。

考えてみれば「そりゃそうだ」ということです。時代の変化に関わらず、昔から「活かせるならば」は同様だったはず。だから「末は博士か大臣か」だったんでしょう。でも、大衆の我田引水な解釈を修正することもなかったから、受講することで完結してしまうような「教養」も横行した。そして、捏造されたような教養が横行してもビクともしないような経済成長があった…

つまり、こういう意味でもバブルが弾けようとしているのはこれからです。

水で薄めたような博士を濫発しても、現実の問題を水で希釈して薄められるわけでもなし。
僕らは、これから「本来、ビルを何十棟も持てるはずもない街の小さな商店」が、何十棟もビルを持ってしまった現実のウソを思い知っていくのでしょう。

信じる者も信じているだけでは救われない所以です。

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