「みんな」の時代

「これがスマートな生き方だ」という考え方が違ってたんだと思います。
匿名性の中に埋もれることで自身の責任が明確にならないようにし、誰かの功績を「みんな」で分け合ってしまって自身の功績にする…
工業生産時代の生き方としてはとても賢い方便だったんでしょう。

お母さんに「みんな持ってるよ」とねだる、その「みんな」が免罪符になる時代のことです。

名うての名選手でさえ3割しかヒットを打てないことが問題視されないように、個人の時代になれば(以前に比較して)「失敗」には寛容になります。
そして、チャンスにバットを振れない選手の評価が厳しくなります。

野球だって「みんな」で闘うわけですが、「みんな」に隠れて、勝ったときだけ己が手柄にすることは、野球というゲームの構造が許しません。
集団な時代が終われば、加速度的にそうなっていく…

たぶんSNSが隆盛になったあたりで「みんな」の時代は終焉に近づき、
ブログやツイッターで個人の考えを表明することで
知らず識らずのうちに僕らは「みんな」の時代を終焉を後押ししてるんだと思います。

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