小憂大患

「むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處 今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや」

これは、開港50周年の頃につくられたという横浜市歌の一説ですが、即成で大都市になったことを高らかに謳っているような歌詞です。今は横浜港の北部にある神奈川は中世以来の港都だったのに、外国人の隔離と貿易の独占を狙った幕府が三報を崖に囲まれた現在地に、突貫工事で築港したのが今の横浜港です。

明らかにフィクション先行です。まるで原発のようだと思います。

フィクションなんだから、天然の良港であるはずもなく、横浜港は絶えず浚渫を繰り返さなけれなば港としての機能を果たせないという、実像は遠浅の浜。本来は潮干狩りの名所かなんかになっていたところでしょう。でも、その浚渫が多くの労働者を集め、戦後復興も産業復興優先だったので、上下水道の整備もままならぬままに人だけを集め、さらに東京の膨張とともにベットタウン化も進みました。
市の人口が200万人を超えたのが1968(昭和43)年。2015年の今は372万人弱。1968年以降も10年間で36万人ずつ(高知市一つ分より多い)という勢いで人口を増やしてきました。市役所の直近の調査によると市内居住者のうちの21.8%が同所居住歴10年未満。つまり、総人口の5人に1人が同所在住10年に満たない市民ということになります。

この大都市の人口の大半はふるさとのコミュニティから切り離された田舎者。初代か、二代目です。もちろん、人口比率は団塊の世代、第二団塊の世代にやたら分厚い。団塊の世代はこれから後期高齢者で、第二団塊の世代は、これから就業に迷うでしょう。そして、属すべきコミュニティを持たぬ田舎者が頼るのは市役所をはじめとした行政です。たぶん、多くの人が殺到します。でも、行政にはほとんど何の準備もできていません。

国内の心配事と、外国との間に生じるやっかいな事態。内にも外にも憂慮すべき問題が多いことを「内憂外患」といますが、市内各地で進行中の再開発事業を「大患」とするなら、これから路頭に迷うかもしれない市民たちの問題は「小憂」とでもいいましょうか。そして「小憂」はこのことだけじゃない…

横浜市、ゲーム「ジェンガ」でいえば、引き抜ける棒は、あと1、2本といった感じです。

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