教 訓

松岡洋右全権が席を蹴って脱退するまで、大日本帝國は「国際連盟」の常任理事国であり、事務局次長は新渡戸稲造でした。
満州国建国に抗議した中華民国が連名に提訴。イングランドのリットン伯爵が状況を調査して報告。満州国に正当性はないとして中華民国への返還を提案。ただし、満州における大日本帝國の権益は認め、返還後の顧問団の一画にも大日本帝國を加えるという、日本にとって悪くない「調停案」の色彩を帯びたものでもありました。だから松岡全権も、帰国第一声で「詫びた」のだと思います。

いずれにせよ、これを契機に大日本帝國は国際的には孤立化の道を歩み始め、一方で、はぐれ者どうしが枢軸国になって「連合国」の敵になっていきます。
当時、まさかドイツと日本が組むなんて信じられないことだったでしょう。今日的にいえばロシアと日本が組むようなものです。

外交は膨大な将棋です。10年、15年後のために、今、一手が打たれ、今も一歩ずつ追い込まれていっているのかもしれません。

安倍さんたちは遅れまいと種々「戦争ができる国にする」ための法案成立を急いでいますが、そう簡単に「最後の戦勝国」に加えてもらえるのかどうか。大日本帝國も第一次世界大戦の時は戦勝国の一員でした。

とにかく僕らはできるだけ先を見ていなければ。北の海で戦死した叔父貴が残してくれた教訓です。

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