安倍さんのおじいちゃんは、内心では彼らをバカにしつつ当時の軍部を巧みに利用し、彼らを「虎の威」にしつつ、独裁的で統制的な体制を敷こうとしていた人です。そして、この安倍さんのおじいちゃんは、敗戦後はアメリカに忠誠を誓って、今度は彼らを「虎の威」に、戦前の体制を復活しようとしました。
もちろんこの目論見は国民の猛烈な反対にあって挫折しますが、部分的には成功して翼賛体制は継続。戦場から産業界へと場面は変わっても滅私奉公は変わらず、そして便利づくめの中で。僕らは立派な愚民になりました。
便利を与え、所得を上げれば「あいつらは黙る」と思っている節があります。大事なことも、目の前にニンジンを吊るせば「忘れる」と思っています。
1960年代は確かにそうなりました。それがあの当時の大人であり、若者でした。
でも、今は少し違います。今の40歳代、あるいは30歳代まで(もちろん、高齢から数えてです)は1960年代の系譜に属し、恋愛と趣味とレジャーな人、ニューファミリーな人が大半なのかもしれません。でも僕が出会う若者には「自分で考えよう」とする人も少なくなく、いたってクレバーです。もちろん若者の全員がクレバーではありませんが、1960年代だったら「異端」に過ぎなかっただろう考え方を持った少年や青年たちが胸を張って行動し始めています。国会議事堂を囲むだけでなく、丸刈りになって技能職の門をたたく若者だって少なくない。そうした若者たちにインスパイヤーされた「昔の少年少女たち」も生き生きとしている場面にしばしば出会います。もちろん、少数ですが、その少数が倍増しているような気がします。
そして、そうした人たちがインターネットをつうじて、意見交換をし協働をはじめている。そして、そのことが可視化できるし、記録が残る。
このことが1960年代とは決定的に違うところです。
どんなに火を消そうとしても導火線は残る…
安倍さんたちの戦略は、高齢者向けであり、インターネットのない時代の戦略だと思う所以です。