どこまでやれるか

江戸時代は、リサイクル(収集)に関わる業者もたくさんいました。小さな個人事業主です。

社会としては、そうした個人事業主がたくさん起業できるようにするという考え方もあるはずなんですが、現況は収集(一部の分別)の主体は町内会などのボランティアに拠り、収入があったとしても雀の涙です。そして、大規模な処理施設を持つ大きなリサイクル会社は自治体と密接な関係を持ち、血縁相続が慣例化し新規の参入はあまりなく風通しは良くない。事実、会社の経営が洗練されていくこともない…こんなに世の中が変わっても、ずっと「同じ」を繰り返している。

ジョン・ダワー博士は、前の大戦を呼び込んだ「翼賛体制」=官僚主導の中央集権体制が戦後も継承されてたと指摘されています。そして、電化製品の「三種の神器」に代表される生活利便の提供と愚民化政策。

たぶん、これが戦後の日本で、安倍さんのおじいちゃんがグランドデザインした日本です。田中角栄氏の「日本列島改造論」も「地方の復権」ではなく、日本各地に「雛な東京」を振りまいただけで、安倍さんのおじいちゃんのグランドデザインに大きな路線変更が加えられることはありませんでした。

こうなってくると、あとは僕らです。
僕らが、それをよしとするのか。路線変更を画すのか…
政治に託すのではなく、もちろん、行政に頼るのでもなく、いたって個人的な問題として、個人ができる範囲内でいいから「嫌だ」をいうかどうかです。

僕は江戸時代の方が豊かだったと思っています。そして、今も、あれ以来「非国民」な時代は続いていると思っています。

与えられたシステムに乗らずに、どこまでやれるか…

電気があることに逆らおうとも思いませんし、インターネットから離脱しようとも思いませんが「安倍さんのおじいちゃんがグランドデザインした日本」の次へ一歩は踏み出したいと思っています。

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