監理能力を超えて

統制下にあるマスメディアだけが情報の発信源ではありませんから、オリンピックがむしろ国際的なスポーツの祭典という美名では語れないものであることも明白になってきました。でもテレビはオリンピックを謳います。疑問を挟まずに謳います。
いくら「爆買い」とはいえ、個人の観光客が我が国の経済を救えるわけでもないのに、テレビはその辺りを謳います。

逆に中国に拘束された邦人についての続報が報じられることはほとんどなく、官房長官の「国家のために子どもを産め」発言にツッコミを入れるテレビ番組もほとんどありません。それ故、原発事故は、前の大戦時に、各地の玉砕戦が国民には隠されていたようなことになっているのではないかと推測しています。
僕は仕事上、知り得た見識で、各地の華やかな再開発も、実はあらかじめ空きビルを造っているようなものだということや、既存のマンションが空室だらけになっているのに、まだ大型の「新築」を続けていくこと。工業生産時代が終わってオフィスビルだって面積はいらないのに、その新築はやめないことなど、自らの反知性主義的ではない判断を採用して明日を予測していきたいと思っています。

ただ、こうは思います。

1961年生まれの僕、僕らの世代と違って、今の若い人は「テレビに洗脳される」ほどにテレビ見ないんじゃないかなと思います。僕が少年だった時代ほどに、テレビが時代を先導することはないでしょう。

しかもラジオがね。ピカピカ光る番組がたくさんある。毎日のようにある。だから、マスメディアだからといって「論調、全部一緒」ではない。

SNSを含めさまざまなメディアが増殖し、増殖したメディアどおしが連関して、人間の監理能力を超えちゃっているんでしょうね。もちろん、この場合、悪いことではありません。

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