一流の貧乏人

100億円以上のお金を持っている人っていうのは、この国にも確実に存在するんだと思います。
そして、そういう人たちの場合、相場で半分をすっちまったとしても、あと50億円。8割すっちゃっても、あと20億円が手元にあるということになります。そうなれば預金の利息だけでも十分食っていけるわけですから、少し時期をみて、好況なときに確実だが利率の低い物件に投資するなどして、また少しずつ回復していけばいいわけです。
しかも、そうした資金を「私」として世間に解放しちゃうなんて人は滅多にいないわけですから、たいていは相続されていく。生まれながらに100億円のお金を持っていて、一生食っていけちゃう人もいる。トマ・ピケティさんによれば「打ち壊し」も「革命」も所詮は「灯篭に斧」。で、今に至るも、お金持ちはずっとお金持ちで、貧乏人はずっと貧乏人というわけです。

でも、個人の持ってる生活文化のかっこよさとか。ライフデザインのかっこよさって、相続はできないし、その人の考え方に拠るわけです。

ハイ・カルチャーの場合、そう簡単に「深窓」に新規を参入させないための作法である面が大きいので、あくまでも「その世界の人」であるように振る舞うことが大切になりますが、これと「個人の持ってる生活文化のかっこよさ」を目指すことはちょっと違います。

例えばね。街場のパティシエさんがいたとして、ある人は自分の幸福のためにケーキをつくる人がいて、ある人はケーキを食べてくれる人の幸福のためにケーキをつくる。でもホントにかっこいいのは「ケーキを食べてくれる人のための幸福」のためにケーキをつくることが自らの幸福だという人が一番カッコイイ。

つまりね。作法をよく習得しているかどうかではなく、生き様です。

生き様なんだから、お金持ちかどうかも関係ない。

というわけで、トマ・ピケティさんのおっしゃることが事実だとしても、それはそれ。お金持ちか貧乏人かで評価が定まるわけでもない。

僕は「お金持ちはずっとお金持ちで、貧乏人はずっと貧乏人」っていうことが明らかになったんだとしたら「一流の貧乏人」目指して胸を張るっていうのも返って「アリ」になったんじゃないかなと思っています。

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